1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 09:56:56.68 ID:RF3X2+180.net
前スレ
小平・東村山・東大和part4
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/pachij/1518357318/
by びんたん次スレ一発作成
144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:42:33.71 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:52:59.80 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/21(日) 20:31:40.79 ID:drfzvZfO0.net
>>42
wの意味もわからないのに、wを活用することが推奨されている5ちゃんはみてるんだwwwww
自分の矛盾に気持ち悪くならないのか?w
32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 09:17:37.16 ID:qx+6rOjw0.net
>>31
嘘だったら立派な営業妨害になるから
とりあえず通報しておいたわ
5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 20:31:39.35 ID:Zq5UCda+0.net
重複
現在の本スレ
小平・東村山・東大和part5
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/pachij/1534777013/l50
23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 20:02:53.02 ID:Cad2CqC40.net
重複スレに書き込んでんじゃねえよ死ねカス共
現在の本スレ
小平・東村山・東大和part5
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/pachij/1534777013/l50
55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:27:58.30 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:53:22.01 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:45:57.96 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 01:55:26.43 ID:YhqovxB80.net
南無の4円甘バラエティーにいる、リーマン風のハゲた中年のパチプロの人、いつもかなり勝ってるねぇ
あの人ガチプロじゃない?止め打ちめちゃ上手いよ
玉びっくりするほどバリバリ増えるし
でもハゲてんのに台をブラシで確保するところが笑えるんだよなぁw
103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:35:48.03 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:39:11.61 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/28(日) 14:09:53.99 ID:q0ztSyFA0.net
10月もそろそろ終わりか…
133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:40:58.62 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:35:14.19 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:28:50.99 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:51:24.19 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:34:37.47 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 23:16:16.59 ID:GD+l/M5v0.net
>>17
以前は田無のモナコでよく打ってたハゲだね
ハゲなのにブラシで台確保するのが笑えるよな
パチプーなのにリーマンを装っているところも痛い
152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:43:47.61 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:42:30.74 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:48:33.71 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:31:22.53 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:33:51.04 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:56:08.18 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:31:04.13 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:41:39.20 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/11(木) 20:31:32.49 ID:gXC/rie30.net
ハイハイ不都合な話になるとすり替えるのね
大事なのは、ナムが閉店だって事だ
24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/31(金) 02:02:59.27 ID:zvRjFrQ20.net
>>10
ニートwwwwwww
いい歳して恥ずかしいwwwwwww
110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:37:11.05 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:34:53.04 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:45:20.11 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:48:18.05 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:39:29.74 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:40:25.03 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:53:19.29 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:33:32.46 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/24(金) 20:30:50.48 ID:Or7J3ftn0.net
>>10
無職軍団員乙wwwww
202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:52:03.64 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:30:23.87 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:28:35.17 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:27:21.24 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:28:53.92 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
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でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:47:03.60 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:27:17.97 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:41:20.34 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:39:08.82 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:41:02.19 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:43:44.37 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:45:39.54 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:28:13.86 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:54:14.23 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/23(木) 20:44:31.11 ID:eG/oKjO/0.net
4円パチンコやめますか?
それとも人間やめますか?
ぱちんこ問題リカバリーサポートネットワーク
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/pachi/1532874655/
115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:38:12.52 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:31:37.61 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 07:46:40.03 ID:kyBsawNX0.net
>>10
わぁ怖い…無職こわ
22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/30(木) 07:46:40.03 ID:kyBsawNX0.net
>>10
わぁ怖い…無職こわ
53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:27:39.67 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:40:03.39 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/24(金) 12:46:47.88 ID:irR515+a0.net
大南無
今日は祭りっぽいな
スロが朝からかなり吹いてる
4円のパチも2万発近く出てる台もちらほら出てきてる
今日はバイトの店員がいつもの倍位いるのは何故?祭りだからか?
194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:50:50.46 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:35:32.98 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:47:59.71 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/02(日) 19:20:14.12 ID:8PVngAZS0.net
あの年齢で無職はまずくない?
今後どうするつもりなんだろ
148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:43:10.62 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
★13年には、イ・サンファが36秒台の世界記録を連発して36秒36まで記録を伸ばしていた。
そういった背景もあり、「ソチ五輪前にもそういう(練習をやりすぎなくても強くなれる)感覚はあったと思いますが、
それをできなかったのは彼女自身に自信がなかったからだと思う」と結城は振り返る。
もうひとつのオランダでの成果は、小平と結城の関係性の変化だろう。
「僕が小平に相談できるようになったのは大きいですね。ソチ五輪まで相談できなかったのは、
それはどこか『頼られているから言えない』という部分が僕にあったんだと思います。
でも今は、小平もコメントしている通り、『信じてはいるけど、頼らないようにしている』というスタンスのようです。
僕自身が迷った時に、『これ、奈緒はどう思う?』とか『奈緒ならどうする?』と聞けるようになりました」
新しい関係性を築き始めたふたりは、平昌五輪前にもお互いの意見を出し合い、確認したことがある。
それはたとえ五輪期間中であっても、「いつもと同じように、何か見つけたらそれにトライしていこう」ということだった。
そんな前向きな気持ちの追い風になったのは、平昌五輪後に行なわれるベラルーシのW杯ファイナル出場を辞退することと、
同じ日程で行なわれる標高1034mの高速リンクがあるカルガリー大会に出場して、そこで世界記録を狙う予定を立てていたこと。
驚くことに、それを五輪の1年前の1月に、結城と話して決めていた。
「そこまで(五輪まで)となると、ちょっと止まってしまうんです。ベクトルの向きは上向きになっている時の方がタイムはよくなりますし、
彼女の性格的にも(記録を狙う)チャンスが増えることに喜びを感じる選手なので、その意志を尊重しようと思いました」
だが、そのカルガリーの大会は、リンクの改修に入らなければ次のシーズンに間に合わなくなるために中止になってしまった。
結局、小平はポイントが高くなるW杯ファイナルにも出場しなかったため、500mW杯総合優勝を逃した。
それでも小平は「もしカルガリーで世界記録を出していたら、来季へのモチベーションを失っていたかもしれませんね」と笑顔で話し、
帰国後はすぐに次のシーズンへ向けて練習を再開していた。
「本人は休みなく行きますと話していたけど、僕としたら手を上げて『休みたい』と言いたいくらい」と結城は苦笑する。
「でも、人間はトレーニングをしていて体が疲れるというのはそんなにないんだと思うんですね。疲れるというのは、頭が疲れることだと思います。
常に余裕を持って切り上げるというのが頭を疲れさせない。もし頭がいっぱいだと、次の日は頭が動かなくなるはずなんです。
でも体はそんなに弱くはない。モチベーションが上がったりした時に、うまく乗せてあげれば、疲れはあまり感じないし、多少の時差があってもタイムは出るんです。
そこをうまく調整できずに間が空いたりすると、いきなりすごい疲れを感じると思うんです。
だから倦怠感を感じた時に『こうやったらもっとよくなる』と光を当ててあげれば、グッと食いついてきて『また滑りたい』となる。
そこを見抜いて気をつけてあげることが必要なんです」
小平は世界記録樹立を考えて練習を積み上げている。それは500mの36秒36の更新だけではなく、自身が持つ1000mの世界記録(1分12秒09)も意識している。
彼女自身五輪後に、「あの1000mの世界記録はすぐに更新される記録だと思います。だからもっと、ダントツな記録を出さなければいけないと思う」と話していた。
そんな貪欲さを持つ小平の充実期は、五輪の金メダルで終わるのではなくまだまだ続く。それを持続させているのも彼女の精神力の強さであり、
すごさである。
145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:42:49.27 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:47:38.34 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:47:19.28 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:32:55.39 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。
224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/29(月) 14:55:46.85 ID:5CbeNjrL0.net
平昌五輪での小平奈緒の強さは、技術だけではなく、精神面からしっかりと積み上げてきたものだった。
小平自身、自分の状態を自己分析でき、その時点でのありのままの自分を受け入れて
「どうやればもっとよくなるか」ということだけを考えられる精神状態になっていた。
そこまで精神力を高められた理由は「やはりオランダの2年間」にあると結城匡啓コーチは語る。
「それまではガムシャラにやることに集中していましたが、今は自分の中でスマートにまとめていくというか、
動きにしてもトレーニングの中身にしても、ほんのちょっと余裕を持ってまとめていく方が実際のレースにつながるということがわかったようです」
オランダに行き、自分より優れている選手たちの練習を見て、「疲れるまでやらなくても、この程度であとはリカバリーをすれば、
休んだあとにまた強さが戻ってきているということを肌で感じたのではないか」と言う。
またその頃、W杯では表彰台に上がるようにはなっていたものの、500mのW杯総合は5〜7位で足踏み状態。